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家族旅行先の南三陸町で聞いた児童全員避難の戸倉小学校の話

夏休みの家族旅行で、宮城県南三陸町に行きました。

南三陸町は宮城県北部の海沿いにあり、南には石巻市が、北には気仙沼市があります。
気仙沼市の北側は岩手県になり、陸前高田市があります。

私たち家族が宿泊したホテルは、南三陸町にあるホテルで、「南三陸ホテル観洋」という海沿いの高台にある10階建てのホテルです。
周辺地域の中でも最大規模のホテルで、244室の客室があり、1300人収容できます。

南三陸ホテル観洋では、震災を風化させない為に、毎朝、被災者でもあるホテルスタッフの方が語り部となり、1時間ほどですが町内を見学する語り部バスを運行しています。

私達も、この語り部バスに申し込んだわけです。

私が宿泊した時は、お盆休みの期間だった事もあり、かなり多くの人がいました。
そのため、語り部バスも、午前8時45分発と午前10時発の2便がありました。

うちは、午前8時45分発のバスに参加しましたが、ホテル所有の観光バス3台で出発しました。
宿泊客のほとんどが語り部バスを利用しているのではと思うほどで、うちのような家族連れも多くいました。

広い南三陸町の中で、見学したのは、宿泊しているホテルから行きやすい南三陸町の中心部と、ホテルから近い戸倉地区です。

まずは、ホテルから近い戸倉地区に向かいました。

南三陸町というと、町の中心部にある防災対策庁舎の話が有名で、戸倉地区が取り上げられることはあまりありません。
しかし、ここでも色々な事が起きていました。

そこで、このブログでは、戸倉地区にあった戸倉小学校の事を書こうと思います。


より大きな地図で 南三陸町 を表示
地図の左上にある「+」をクリックして地図を拡大していくと、複数の目印が付いています。
目印の上にカーソルを移動してクリックすると、簡単な説明が出ます。


ホテルを出発し、海沿いの高台から、国道45号を道なりに、町の中心地とは反対方向に進むにつれて、眼下に見えていた海が自分達の横に来ました。
平坦な場所ですが、何も建物は無く、一面雑草が生い茂っています。

この場所は、私達が前日にホテルに向かう際に通った道で、内陸から海に向かって走っている途中から建物が無くなるなど、それまでとは違う様子になったので、もしかして津波によってこうなったのかな?とは思ってはいました。
でも、地方に行けば、建物の無い空き地は見かけますし、どっちなのかな?と私達夫婦は話していました。

津波によって無くなってしまったのではと思いつつ、そんなことはあって欲しくないという気持ちもあったので、元々空き地であって欲しいと願う気持ちもありました。

しかし、バスの中で説明を聞いて、かつてこの場所は住宅地であった事、川に架かっていた橋も流され、私達がバスで通った橋は新しく作られた橋である事も知りました。
国道に迫っている山の下半分は木々が無くなっていますが、そこまで津波が来たと知り、その高さに驚きました。

戸倉地区で、バスはしばらく停車し、車内で語り部の方が周辺の様子を説明してくださいました。


以下は、戸倉地区にある戸倉小学校について聞いた話の一部です。


海から300m離れた所にあった戸倉小学校では、地震の揺れがおさまると同時に、当時小学校(在籍児童数107人)に残っていた児童91人全員を校庭に集め、午後3時ごろには、400mほど離れた高台に避難を完了しました。

停電の中、手回し発電機付きのラジオにより常に情報を耳に入れ、迅速に的確な判断で高台に避難しました。

その後、小学校の隣の保育所の子ども達や、周辺の住民が、徒歩や車で続々と避難しました。

なお、防災対策庁舎からの防災無線は、高台への避難や潮位の変化がある事を繰り返し何度も言っていました。
これは、ホテル内でもずっと聞こえていました。
しかし、ある時間になって突然聞こえなくなりました。
語り部の方が言うには、それが津波襲来の時間だったのでしょう。

午後3時半ごろ、戸倉小学校や周辺の住宅をまっ黒な津波が飲み込んで行き、その場にいた約150人は、更に高い位置にある神社に避難を始めました。
3階建の校舎は屋上まで全て水没し、3月1日に完成した新しい体育館や、隣接していた保育所も全て波に飲まれました。
最終的に、津波は、小学校の屋上より更に5m高い位置まで来ました。

全員が神社への避難を完了した直後、それまでいた高台に津波が押し寄せ、避難してきた人達の車や、そこに建っていたアパートをさらっていきました。

周囲は完全に水没し、約150名がいるその神社だけが孤島のようになっていました。
そのまま夜を過ごす事になり、小学校の低学年以下の小さい子達と妊婦や病傷人を社殿で過ごさせ、小学校5年と6年はたき火で暖を取りました。

男性陣は役割分担がしっかりされ、協調性のある行動をしました。
難を逃れた高台の家から寝具や飲食物を運ぶ人達や、薪を集める人達、また津波が来ないか海を見守る人達、先生達は、子どもたちを励ましおしゃべりをし、子どもたち同士も励まし合ったりしました。

説明を聞きながら現場を見た私の印象としては、小学校は海とほとんど接しているように見えましたし、避難した高台や神社、もっと小学校に近いように見えました。

でも、これは、地盤沈下したため、海が迫ってきているという事や、かつてあった住宅などの建物が全て無くなっているため、今となっては、かつての道を通らずに直線距離で高台に行けるからなのでしょう。


また、語り部の方は、迅速で的確な避難の裏には、何度も繰り返された避難訓練や、先生同士の繰り返し行われた話し合いの賜物である事も話されました。

戸倉小学校は、3階建の校舎で、チリ地震津波の時は、1階が浸水するにとどまったため、消防署との話し合いで、屋上への避難が妥当との見解になっていました。
また、最短だと3分で津波が来ることになるのに、高台まで児童全員を避難させるには10分くらいかかってしまう事もあり、屋上避難が妥当なのでは、という見解でした。

しかし、屋上に避難した場合、他に逃げ場が完全に無くなってしまうのも危険なのでは、という意見もあり、先生達の間で何度も議論されました。

毎月の避難訓練では、授業中や休み時間中、下校時間、隣接する保育所との訓練など、色々な状況を想定して訓練していました。
しかし、避難場所については結論がなかなか出ませんでした。
結局、最終的には校長が判断することになったわけですが、何度も繰り返された話し合いの中では、各先生の避難時の担当や持ち物が決まっていきました。

2011年3月9日にあった少し大きめの地震の際、戸倉小学校では、校舎屋上に避難した後、本当にこれでいいのか、先生達で話し合いが行われました。
その時、屋上から高台に避難場所を変更し、翌3月10日には、高台への避難訓練を行いました。

その翌日、大津波が来たわけです。

隣接する保育所の園児も含めて、3階建て校舎の屋上に児童全員避難していたとしたら、大川小学校をはるかに上回る最悪の事態になっていたことでしょう。

避難訓練を繰り返し、何度も話し合いをする事は、なかなか結論は出なくても、個々の先生の防災意識を高める事で、役割分担も決まっていくようです。
そして、子ども達の意識も変えていくのかもしれません。
怖がって泣いてぐずる低学年の子達も、避難の際は、静かに高学年の子達と共に迅速に避難したとのことです。

学校全体が防災に対する意識が高く、日ごろの試行錯誤はとても大切なのだと思いました。

手回し充電式ラジオについては、どんなものがあるのか、参考までにご覧ください(⇒こちら)。
楽天のサイトに飛びます。

我が家も、昨年早々に、手回し充電式ラジオを2つ買いました。
うちの場合、当初どの商品も似たり寄ったりなのかなと思い、一番安いものにしようと思いましたが、口コミを見てみると、送られてきた商品によって満足度が大きく違うものもある事に気が付きました。
運が悪ければ、一部の機能が使えないなんて事もあるのかと思い、結局、当時唯一の国内メーカー(ソニー)のものを購入しました。
特に不具合は無いですし、スマートフォンや携帯電話の充電もできます。
現在は、更に最新機種が出ています。

また、8月には、パナソニックからも、かわいらしい丸みを帯びたデザインの手回し充電式ラジオが発売されました(⇒こちら)。

話は元に戻ります。

戸倉小学校の近くの高台には、戸倉中学校があり、ここの話も聞きました。

戸倉中学は、現在、仮設住宅が立ち並んでいます。
ここは高さ20mの高台にありますが、ここにも津波が押し寄せました。
高台にあるため、津波の避難所にも指定され、生徒達も避難住民達も校庭にいたのですが、波の様子を見ていた先生達の声で、一斉に裏山にある更に高い所の工場に逃げました。
しかし、生徒1人と、逃げ遅れた老夫婦と、その夫婦を助けようとした先生1人が亡くなりました。

亡くなったという話の後、バスの中がとても重苦しい雰囲気になりました。

以下では、写真を数枚載せますが、バスの中から撮ったので、反射で別のものが写り込んでいるものもあります。
また、座った座席側の写真しか撮れなかったのは残念でした。

語り部バス
南三陸ホテル観洋の正面玄関から出発です。この時は、大型観光バス3台で出発しました。

南三陸町戸倉
南三陸町戸倉地区の国道45号沿いです。
津波前には、郵便局や駐在所がある住宅地でした。

流された橋
国道45号は、戸倉地区で国道398号と分かれ、国道45号は海沿いから内陸へ向かい、国道398号は、ずっと海沿いを走ります。
この写真は、国道45号から国道398号へ入ってすぐにある折立(おりたて)川に架かる橋から撮りました。
従来あった橋が津波で流されてしまったため、写真中央付近に橋脚だけ残っています。
現在は、すぐ近くに新たに橋を作りました。
そのため、国道398号も、かつては直線道路でしたが、橋の付近はカーブしています。

土台だけ残る住宅地
橋を渡った後も、かつては住宅地が広がっていて、国道から住宅地内へ伸びる生活道路もありました。
現在は、住宅の基礎部分だけ残っていて、あとは雑草に覆われています。

戸倉小学校跡
住宅地にあった戸倉小学校の跡地です。
3階建の校舎は、屋上よりも更に5mほど高い津波に破壊され、10日前に完成したばかりの体育館や、隣接していた保育所も、全て全壊しました。
津波の後、しばらくは校舎は残されていましたが、現在では壊されて、瓦礫の山になっています。

遠くに見える避難した高台
戸倉小学校付近から、91人の児童全員が避難した高台と神社を見た様子です。
写真の手前にトラックが複数並んでいますが、そのトラックのすぐ上に、高台に建つ白い建物が見えています。
更に、その右側に木々が茂っているこんもりした小さい山に神社があります。

避難した高台と神社
更に近い所から撮りました。
戸倉小学校の児童達は、写真の左端に映っている坂を上がり、高台に避難しました。
そして、この高台にも津波は押し寄せてきたため、児童たちも含め、高台に避難した人達約150人は、右側にある木々が生い茂っている方へ上がりました。

神社
神社がある小山を裏側から見た様子です。
裏には道があり、この道の奥にも集落がありますが、津波の被害にあいました。

プレハブのセブンイレブン
国道45号沿いにあるプレハブのセブンイレブンです。
国道398号との分岐点近くにあり、周辺に何も店が無い事もあり、結構にぎわっていました。
背景の山は、下のほうだけ木が生えていませんが、木の無い所は津波が来た高さでもあります。
また、同じく背景の山の下のほうに、白いガードレールが写っています。
ここは、かつて、JR気仙沼線の線路で、すぐ近くには、陸前戸倉駅という駅もありました。
津波により、駅も線路も全て流されてしまい、現在、その線路があった場所を道路にして、バスを走らそうという計画があり、工事が行われています。

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